19770107 ニューギニア航空・鹿児島路線

私の地元、鹿児島空港は今では中華民国、中華人民共和国、香港、大韓民国と近隣の諸国との定期便が開設されています。

昭和50年代初め頃までは、小国のフラッグキャリアが日本への定期便を開設する際に選んだ空港というケースもありました。ナウル航空(現在のアワー航空)と、今回紹介するニューギニア航空です。
1977年1月7日に鹿児島とパプアニューギニアの首都、ポートモレスビーの間を就航しました。

初飛行カバーをご紹介します。

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「TRANS WORLD PHILAIR CLUB」が作成したカバー。
ニューギニア航空が作成したと思われる、記念スタンプが押印されています。

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もうひとつは、日本側で作成したと思われる初飛行カバー。それぞれで欧文日付印の印影が違うのも興味が湧きます。
日本国内の代理業務は、当時のフラッグキャリアの日本航空ではなくて、全日本空輸(現在のANA)で行われていたのも面白いです。
状態が悪いものの、資料と割り切って入手しました。綺麗なカバーと出会えたら、是非とも交換したいです。

私の中で謎だったのが、地元鹿児島では無くて東京空港郵便局の消印が押されていること。
ひとつのヒントは、日本側で作成したカバーのカシエに描かれたルートの記載。飛行機自体は鹿児島からなのですが、実質的には東京から鹿児島経由という記載をしています。

郵趣的な資料も手に入れていましたので、記事ごとご紹介しておきます。

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「鹿児島郵話会」が1977(昭和52)年4月5日発行のはがき通信「さつま通信」143号に、パプアニューギニア宛の郵袋伝達式が行われた事が記載されています。残念な事に伝達式の日付が明記されていませんが、この前の号で郵趣情報を取り扱っているのが1977年12月のため、恐らく初飛行日に郵便物に載せられていたことが推測されます。
最初に取り扱っていた300通のうち、初飛行カバーが何通だったのかとても気になるところです。