20120127 長谷川町子美術館(2)

東京旅行の話は、もうしばらくお付き合いください。

本題に入る前に、このカードを椙山さんのブログを始め、Web上及び誌面等数カ所でご紹介頂きました。遅くなりましたが、ありがとうございます。

今回のカードは後日談があるので、少しフォローをしておかなければいけません。
このカバーをお送りした方への文面で、

「主要キャラクター」の切手(といっても合っているのは名前だけ)をチョイスしました。波平とフネとワカメは苦しいこじつけです。

というひと言を付け加えていますが、この文面は間違いである事に気付きました。
それは、長谷川町子美術館に展示しているサザエさんコーナーで「サザエさん」の生まれるまでのエピソードを見たときでした。
展示されているエピソードは、「サザエさんうちあけ話」という書籍にも記載されています。以前は、姉妹社から発刊されていましたが、現在は朝日新聞社から「似たもの一家」と併せた文庫本で、長谷川町子美術館では数量限定でハードカバーの復刻版が発売されていました(訪問時には書籍の紹介がありましたが、現在は消えています)。

長谷川町子は、佐賀県生まれの福岡県福岡市育ちです。父親の死去に伴い、14歳で東京に移住しました。戦前の漫画の代表作「のらくろ」の作者である田河水泡に師事。戦時中、故郷の福岡に疎開し西日本新聞社に所属しました。
戦後、西日本新聞の姉妹紙に当たる「フクニチ新聞(現在は廃業)」より漫画の連載が依頼されます。キャラクターの設定を決める際に、病後の妹と福岡県早良区の百道の海岸まで歩いて散歩したときに名前を決めました。これが、今に続く「サザエさん」になるわけです。キャラクターの名称を決める事になった百道の海岸があった場所(現在は埋め立てられています)には、「サザエさん発案の地」の石碑があります。

長谷川町子が東京に移住するに伴い、サザエが結婚するという話にして「サザエさん」は連載を終了しました。しかし、東京へ移住後フクニチ新聞から「サザエさん」の続編の連載を依頼されます。続編として再開したときに、マスオさんとタラちゃんが登場します。その後、サザエさんは掲載する誌面を替え、最後には朝日新聞連載され、1974年まで続きました。

姉妹社は、「サザエさん」の単行本を発刊するために設立されました。第一巻はB5版の横綴りと、当時としては規格外のサイズだったため、取次店からは倉庫に入れられる事を拒否される事に。しかしながら、第二巻の発刊後には爆発的に売れ、最終的には「サザエさん」の単行本は全巻合わせて姉妹社版、長谷川町子死去後に発刊された朝日新聞社版合わせて8000万部以上の発行されています。

「姉妹社」は長谷川町子死去後解散し、現在では「サザエさん」の単行本は最後に連載をしていた朝日新聞社から発行されています。