20160510 東京ディズニーシー

5月10日から4日間、家族サービスで上京していました。

5月10日は始発の飛行機に乗り、そのままディズニーシーへ。

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「お約束」で、パーク内の「メールボックス」から郵便物を投函しました。
2パターン作っておきましたが、そのうちのひとつを紹介します。

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当日飛行機に搭乗する前に、鹿児島空港へ少し早めに到着したので、空港ビルのカウンターで記念スタンプと一緒に設置している日付印を押印。
ディズニーシーの記念スタンプは、ディズニーシー15周年記念の特別デザイン。
浦安郵便局の日付印は風景印が押印。通常風景印は押されませんが、詳しくは最後をご覧下さい。

昨年の秋、仕事の関係でJALの飛行機に乗る機会があって、はがきをもらっていました。
はがき裏面は、東京ディズニーシーのキャラクター「ダッフィー」を描いた特別塗装の機体が描かれています。

ディズニーリゾートから投函した手紙にひと工夫して、風景印を押してもらいました。
投函した手紙は透明な袋に入れて、手紙とは別に1枚のメモを入れておきます。
メモは、ディズニーリゾートのキャストには、スタンプ押印後のはがきは再び袋に入れメモも残したまま郵便局へ出すように、郵便局には風景印を押印してもらうように書いておきました。

搭乗券入れ

年が明けてから、時間を見つけて昨年後半の郵趣活動で得た品々を整理しています。

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全日本空輸(ANA)の搭乗券入れに、1978年5月20日発行の「新東京国際空港開港」記念切手を貼り成田空港郵便局の欧文ローラー印を切手発行日に押印しています。

見たときから違和感を感じていたので、すかさず入手。
それは、なぜANAの搭乗券入れなのか?
普通だと、日本航空のチケット入れでは…と思うのは、航空マニア入ってますね(笑

実際ANAへホームページ経由で問い合わせてみました。
ホームページの会社沿革で紹介されていて、初就航の路線は全て採り上げられています。
ANAとしての成田への初就航は1978年8月1日からで名古屋との間を結ぶ便という事が分かりました。成田空港の開港2ヶ月後で、国内線です。
この記念品を作った人がどのような意図で作っているかがとても気になる。私のようなANA好きなのか、当時の航空運賃は意外に高いので、やむなく手持ちのチケット入れを使ったのかと、色々想像できてしまいます。

今は、日本の二大航空会社は国際線を運航していますが、成田空港が開港した当時は現在とは全く事情が異なります。
1971年に国内の航空会社が3社になって以来、
日本航空(JAL)は、国際線と国内の幹線を運航し、
全日本空輸(ANA)は、国内の準幹線とローカル線を運行し、
東亜国内航空(TDA、後の日本エアシステム、1994年に日本航空と統合)は、国内のローカル線を運行する。
という行政の指導で運航路線が指定されていました。俗に「45/47体制」と呼ばれています。

この体制には、国内航空会社の保護という観点がありました。
戦後日本での航空活動が再開されて以来、民間航空会社は合併を繰り返していました。政府からの指導もありましたが、航空会社自体が過当競争にならないよう、自主的にも行われていました。
その結果、1960年代後半には日本航空と、全日本空輸、東亜航空、日本国内航空の4社体制になり、最終的には、日本航空と全日本空輸の二社体制に整える方針でした。ところが、東亜航空と日本国際航空が合併し、東亜国内航空が発足することに。それを踏まえて、政府で航空会社の営業路線を指定する事になりました。
この体制は、全日本空輸や東亜国内航空の国際線就航は国の方針転換がなされた1985年を待つ事になります。

日本国際切手展2011(その2)

国際展の話。

鹿児島から羽田への機内では、ビデオを観たり(この会社の社長さんの話)、音楽を聴いたり適当に過ごしていました。

関東地方が天候不順ということもあり、10分程度遅く到着。
第2ターミナルから羽田空港局がある第1ターミナルへ無料で運行しているシャトルバスで移動。羽田空港でも記念スタンプを押印し、羽田空港郵便局で記念押印。

羽田空港第1ターミナルの記念スタンプ。JALがメインのターミナルなので、赤いです。切手の消印は、羽田空港郵便局の風景印。

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