単なる「地方の切捨て」ではないでしょう。

郵便集配、1048局で廃止(中日新聞)
ついに来たって感じです。

ただ単に、効率が悪いからやめましょうとかというレベルの問題ではないと思います。
私はいつ「決断するのだろう」と思っていました。大きな組織なので、色々な調整が必要でしょうから。
ほんの数年ですが、以前勤めていた会社で地場のレベルでの交通インフラがかなり改善されるのを「現場の隅」で見てきていました。

地方の山間部になると昔は酷い道が多かったと聞いていました。しかし、バブル期のイケイケドンドンな公共事業からバブル崩壊後の「公共投資」
により、それと土木技術の進歩によって田舎にも立派な道が出来ていきました。例外も時々ありますが、
仕事で走った生活道路になるような道はほとんど立派になっていきました。
中には高速道路のようにかっ飛ばせるような道も(そこは50キロ制限だったりしますが)
お金のない鹿児島がこんな感じなので、お金のあるほかの田舎も察しがつきます。
小泉政権になって「構造改革」でそのペースは落ちていきますが、私が目の当たりにしていた「現場」では色々な人の色々な思惑が交錯しあい、
いつも給料から天引きされる税金や月に数回入れていた自分の車のガソリン代からもこの道が出来るのだと実感していました。
トーキョーの人間から見ると、「こんな人も居ないところにこんな立派な道路を作りやがって」と言われるような、
非常に素晴らしい道が続々と出来て行きました。際たる物は、
人口数千人の小さな島どうしを2本の橋でつないでしまう凄い計画が実行された事でしょうか
(決まったのは最近の話ですが)

私はとある小さな島で行われている珍しい形態の郵便配達についてレポートしたことがあるのですが、
その時点で近くの大きな島と既に立派な道ができていていました。車で10分ほどで集配局から配達ができるため、
いつかは無くなっていくのだろうと思いながら記録をした覚えがあります。
これは極端な例ですが、昔は物凄く交通の便が悪いため各所各所に小さな郵便局が存在する必要があったと思います。
普通の民間企業だったら交通事情の変化とかでそれなりの対応をしていたでしょう。
本来ならば郵政省の時点で行うべきだったと思います。しかし、色々な人の色々な思惑で対応することができず、
そのまま放置の状態になっていただけではないでしょうか。
「郵政公社」になって、「ミンカン」になるいろいろなタイミングが重なってようやくできたのではないでしょうか。
もちろん、集配郵便局がなくなるのは非常に悲しい話ですが。

郵趣的な部分はあちこちで語られていると思いますので、パスします。