マケドニア、北マケドニアに国名改称

切手ごとに、画像をカットしてアップするよりも、作成したアルバムリーフをそのままご紹介した方が良い場合もあるので、今後はアルバムリーフごと紹介する形を取っていきます。
風景印の改廃では既に実施している形ではありますが…。

さて本題に。
2019年に「マケドニア」が「北マケドニア」に国名を変更していました。
改名前の最後と改名後の最初の切手を入手できたので、「マケドニア」としての最後の切手と「北マケドニア」の最初の切手を並べて1枚のリーフに整理しました。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(1945-1992年に存在)時代は 「マケドニア社会主義共和国」 でした。1,980年代後半から1,990年代前半に起きたユーゴスラビアの解体の際に独立して「マケドニア」の国名を付けたら、紀元前のアレクサンダー大王が統治した「マケドニア王国」の由来となる地域のあるギリシアから反感を持たれて対立が起きていたのが、国名変更の理由。

最後の切手と最初の切手が、改名に因んでいない普通の「記念切手」というのは興味深いです。

以下、ニュース記事を引用して紹介しておきます。
興味のある方はどうぞ。

2018年6月にマケドニアとギリシアが合意して、マケドニアが「北マケドニア共和国」へ改名が決まったときの記事。

マケドニア、「北マケドニア共和国」に改名へ ギリシャとの国名論争決着目指す
ギリシャとマケドニアとの間で論争が続いていた「マケドニア」という名前について、両政府は12日、マケドニアが「北マケドニア共和国」に改称することで合意した。
「マケドニア」は元々、ギリシャ北部の地名。ギリシャはユーゴスラビアが崩壊して以降、27年にわたってこの国名に反論し、多くの協議と抗議運動が続いていた。
また、これを理由にマケドニアの欧州連合(EU)加盟や北大西洋条約機構(NATO)入りを拒否していた。
新たな国名「北マケドニア共和国」は、マケドニア国民とギリシャ議会の承認が必要となる。


解決策は?
合意では、国連で「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の名称で呼ばれていた同国が「セベルナ・マケドニヤ(北マケドニア共和国)」に改称することが決まった。
言語の表記はマケドニア語、国民はマケドニア国民(北マケドニア共和国民)と呼ばれることになる。
新名称は国際的にも、二国間の場合でも用いられることで合意したため、これまで同国をマケドニアと呼んでいた140カ国以上も、「北マケドニア共和国」という名称を使うことが求められる。
また、マケドニア語と英語両方の名称が使えることを確認している。
「ゴルナ・マケドニヤ(上マケドニア)」「ノバ・マケドニヤ(新マケドニア)」「イリンデン・マケドニア」など、これまで数多くの代替案があったが、合意されなかった。


論争の発端は?
マケドニアという名称は、ギリシャ第2の都市テッサロニキを含む北部地域の名前として使われている。スラブ系の新興国が1991年の国家樹立と共にこの名前を用いたことにギリシャは激しく反発。北の国境に面するこの国が、ギリシャのマケドニア地方を奪うつもりではないかと疑った。
新しいマケドニアはその後も、首都スコピエの主要空港やセルビアとギリシャの間を走る高速道路を古代ギリシャの英雄アレクサンドロス大王にちなんで名付けるなど、論争に油を注いだ。
紀元前4世紀、マケドニア王国のアレクサンドロスとその父フィリッポス2世はギリシャ全土からアジアに至る大帝国を築き上げた。
この論争はアレクサンドロス大王をめぐるもの?
一部分だけはそうだと言える。ギリシャはかねて、「マケドニア」はギリシャ文化の本質的な一部だと主張していた。マケドニア王国の首都アイガイはギリシャのマケドニア地方の街ベルギナに近く、またアレクサンドロス大王生誕の地ペラもマケドニア地方に位置する。合意では、北マケドニア共和国国民が古代ギリシャ文明といかなる関係もないこと、彼らの言語が古代ギリシャ文化とは無関係のスラブ語族に属していることが明記された。
しかし、アレクサンドロス大王が力強い象徴であること以上に、マケドニアをめぐる地域紛争は深刻だ。
1912~13年、第一次バルカン戦争でオスマン帝国がマケドニアと呼ばれる地域に侵攻した際、この地域はギリシャとセルビア、そしてブルガリアの3カ国に分割された。
第2次世界大戦で、ギリシャとユーゴスラビア領マケドニアは、枢軸側についたブルガリアに支配された。その後、ブルガリアとユーゴスラビアの共産主義者がギリシャ内戦をけん引した。
ユーゴスラビアが崩壊した際、世界の大半はこの地域にできた新しい国を「マケドニア」と呼んだが、ギリシャは国連の席で、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」しか認めなかった経緯がある。

今後の予定は?
6月28日に開かれるEU首脳会議より前にマケドニア議会がこの合意を承認することが鍵となる。マケドニア議会の承認後、ギリシャはEUとNATOに対し、マケドニアの加盟申請拒否を取り下げる書簡を提出することになっている。
9月か10月にはマケドニアで改称をめぐる国民投票が行われ、賛成多数となれば、マケドニア政府は憲法改正に踏み切る。憲法改正はギリシャ側の主要な要請でもある。
そして最終的に、ギリシャ議会がこれを批准する。
事態は一筋縄ではいかないことが予想される。ギリシャでは「マケドニア」という単語を含む名称自体が反対されるため、合意内容に反対する政党が出てくる可能性がある。
この協議をめぐっては6月初め、ギリシャのぺラやテッサロニキを含む25都市で大規模な抗議デモが発生した。2月にも、首都アテネやテッサロニキで反対運動が行われた。
(英語記事 Greece ends 27-year Macedonia name row

BBCニュース(日本語版) 2018年6月13日
https://www.bbc.com/japanese/44463869

2019年2月に「マケドニア」が「北マケドニア」に改名したときの記事。

「北マケドニア」改名発効
【ウィーン=共同】マケドニア政府は12日、歴史的正統性をめぐる国名論争を抱えていた隣国ギリシャとの合意や憲法改正などに基づく「北マケドニア共和国」への国名変更が12日付で正式に発効したと、北マケドニア政府名で発表した。国連や加盟国、国際機関などへの通知を進める方針。
マケドニアは自国の地域名だとするギリシャは、マケドニアの北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対していたが、両国は昨年6月に国名変更による解決で合意。合意事項の履行手続きなどを両国議会が完了させた。
NATOは今月6日にマケドニアの加盟を承認、年内にも正式加盟し30カ国体制となる見通し。NATOに次ぎ、欧州連合(EU)への加盟もめざしている。

日本経済新聞 2月13日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41199040T10C19A2000000/